BONNIE PINK「砂場でピンク・レディーをまねて」シンガーソングライターの活動に繋がる幼少期の経験 (出典:CHANTO WEB) |
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11/25(土) 17:02 CHANTO WEB
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■きっかけは学園祭だった
── デビューしたのは大学在学中だったそうですね。
BONNIE PINKさん:大学に進学して、サークルに入ろうと思ったんですが好みのものがなかったので自分で作ったんです。サークルを発足させて会長になって、音楽も映画も好きだったので、友だちを集めて一緒にバンドをしたり映画を観たりするサークルを作りました。
学園祭で出し物する際に、クラブイベントをしようということになりました。教室に暗幕を張って真っ暗にして、DJの友だちを呼んで。簡単な編成で、即席バンドでカバーソングを歌うことになり、ボーカルを担当しました。それを見に来ていたDJの友だちが、「バンドのボーカルをしない?」と私を誘ってくれたんです。その方の知り合いが今所属している事務所の社員で。
当時のプロデューサーが新人女性歌手を探していたそうで、「歌うのが好きな子がいる」というのが友だちづてに耳に入ったそうです。歌声を聞いてみたいと言われてスタジオで歌ったら気に入ってもらえて、のちにソロデビューという形です。今も同じ事務所にいます。
── ものすごいシンデレラストーリーですね。
BONNIE PINKさん:きっかけは大学の学園祭なのですが、それまで路上でライブなどの
音楽活動をしていたわけでもなかったので、まるでキャリアのない人間が、いきなり声だけでスカウトされたような印象でした。
就活もまだ始めていない頃でしたし、ありえないくらい奇跡的な出会いだったと思います。(※中略)
自分の歌でどこまでいけるのか挑戦してみたいという気持ちがありつつも先は見えなかったんですけど、事務所の社長が「厳しい世界だけど、続けていけるようにレールを敷くからついてきて!」と言ってくれて今に至るので、あの出会いは間違いじゃなかったと思いますね。
■大学では赤髪を貫いて
── 大学在学中のデビューで、仕事との両立は大変だったと思います。
BONNIE PINKさん:国立の大学に通っていたのですが、入学前に一浪していたこともあって必ず卒業するというのは父との約束でした。
当時、京都に住んでいて大阪にある大学に通っていたのですが、テレビの収録などがあるので毎週のように東京に通っていました。大学で授業が終わってから新幹線に乗って、次の日か翌々日の朝一番の新幹線に乗り、その足で大学に行くというような生活を送っていましたね。
多忙ではあったんですけど、毎日刺激的でしたし、若くて体力もあったので苦に感じてはいませんでした。やると決めたらやるというのは家庭の教育方針でもあったので、大学を卒業することと、音楽もできるところまでするというのは自分の中で決めていたと思います。
在学中に髪を真っ赤に染めていて。教育大学で、教育実習に行く人が多いのもあり周りは黒髪が多いなか、私は非常に浮いていて、目立っていたと思います。でもそれによって精神力は鍛えられたかなとも思うんです。目立ったり、注目を浴びたりすることも嫌じゃなかった。
赤髪のおかげで、ひと目にさらされることへの抵抗は減っていたと思います。当時はSNSもなく、人の声がダイレクトに届かないので、周りの声に左右されず自分のことに没頭できたのも良かったと思います。意外と打たれ弱いので、今の時代じゃなくてよかったなと。無事に卒業してからようやく本腰を入れて音楽活動に取り組めました。
── ご自身で曲を書かれていますが、シンガーソングライターになるきっかけがあったそうですね。
BONNIE PINKさん:デビューする際に、最初は歌うだけだと思っていたんです。人にいただいた曲で自分が歌うトレーニングをしたんですけど、いただいた曲を純粋に好きになれなかった自分がいて(笑)。
正直に、「好きじゃないスタイルかもしれないです」と伝えたら、プロデューサーから、「音楽の好みがはっきりしているんだったら、自分で作れるんじゃない?」と言っていただいて、自分で作曲をすることになったんです。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
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Source: 注目トピックスch