天達武史氏 11月に異例の夏日!記録的暖冬になるかも 心配なのは「ドカ雪」 (出典:デイリースポーツ) |
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(出典 kkbrain.co.jp)
11/4(土) 10:00 スポーツ報知
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7c4db0db2cf7e69f40c0977dc45843ff2e3744e
「全国各地に足を運んで、天気を伝えてみたい」と夢を語った天達武史さん(カメラ・小泉 洋樹)
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
「あまたつ~!」の呼びかけでおなじみの気象予報士・天達武史さん(48)は、情報番組の気象キャスターを務めて19年目になる。気象予報士になる前はデニーズでアルバイトをしていた、異色の経歴の持ち主。毎日約3時間かけて準備し、本番に臨んでいるという天達さんは「道筋を立てて、未来を予測できるのは天気予報だけ」とやりがいを口にした。(坂口 愛澄)
(※中略)
もともとはデザイナー志望だった。
「大学受験に失敗し、イラストを描くのが好きだったので美術専門学校に入り、グラフィックデザインなどを学んでいました。ただ、ちょっと難しくて諦めました」
19歳から約9年間、神奈川・葉山のファミリーレストラン・デニーズでアルバイトをしていた。担当は仕入れ。天気の良しあしによって、仕入れる食材の数は大幅に変わってくる。そのことがきっかけで天気に関心を持つようになった。
「お店の前は海が見える観光地で、天気でお客さんの数が変わるんです。晴れだからレタスを何ケース、とか決めて。ミスすると昼で足りなくなったり。自分で天気の把握ができるようになればいいなと思ったんです」
バイト時代、新聞の広告欄で気象予報士養成講座を見つけ「これにかけよう」と決意。受講料約30万円を振り込んだ。
「講座では漫画で授業をしていたので『これならできるかも』と思っていたんですが、2回目の授業からは漫画はなくなり記号ばかりで、急に難しくなりました(笑い)。お金を払っていたのでやるしかなかった」
大きな目標に向かって、身を削りながら努力したのは初めての経験だったという。22歳で初めて受験したが、結果は不合格。7回目の挑戦でようやく合格を果たした。
「結果が全然出ず、3、4回目でもうダメだと落ち込みました。勉強ができるバイトの子に『勉強のやり方を変えた方がいい』と言われ、バイト前に強制的に図書館に行きました。コツコツ勉強して半年くらいたつと、実力がついてきていると実感したんです。合格した時は意外と冷静でしたが、親はとても喜んでくれました」
就職活動を経て、28歳で日本気象協会に。30歳のころ、周囲の勧めもあって応募したフジ系「とくダネ!」の気象キャスターのオーディションが、人生の転機となった。
「たまたま通っちゃった感じ。たぶん(合格した要因は)名前です。先輩に『お前は取りえがないから、天気の達人って書け』って言われてそう書いたんです」
「とくダネ!」ではスタジオの小倉智昭キャスターから「あまたつ~!」と呼びかけられ、屋外からリポートを担当。すぐさま、お茶の間に定着した。しかし、小倉さんが天達さんを呼び捨てにしたことに、視聴者からクレームがきたという。
「『専門家を呼び捨てなんてありえない』『生意気だ』と何件も届いていたみたいで。それでも小倉さんは『あいつを有名にしてやるんだ』と毎日呼び続けてくれたんです。あの呼びかけがなければ、予報も当たんないし、2、3回でクビになっていたと思います」
小倉さんからは「自分の好きなようにやって。後は俺が何とかするからさ」と励まされていたという。「とくダネ!」は2021年に終了したが、交流は続いている。
「小倉さんのお誕生日に皆で集まったり、楽屋にあいさつへ行ったり。小倉さんがいてくださったからこそ、今でも気象予報士を続けられているんです。僕を育ててくれて、人生を変えてくれた人です」
現在は「めざまし8」で、メインキャスターの谷原章介とともに天気を伝えている天達さん。毎日心がけていることは「健康管理ですね」と笑顔で即答した。
「平日の睡眠時間は2、3時間くらいなのですが、それがちょうどよくて、しっくりくるんです。気象予報士をやっていて休んだのは1回だけですね」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
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Source: 注目トピックスch