フィリピン国内で“最貧困部族”と忌み嫌われているバジャウ族のために、イメージアップ活動を行ってきた大夢さん。しかしコロナ禍を経て、このたび日本に拠点を移すことを決めたという。
彼はなぜ、日本では知られていなかった少数民族の力になろうと思ったのか。そしてなぜ、村から離れる決心をしたのだろうか。
◆海外に憧れをもち、ピグミー族になりたかった
大夢さんは1995年、新潟県村上市に生まれた。小学生の頃から自然が好きで、少数民族のシンプルな暮らしに憧れていたそうだ。
「海外に漠然とした憧れがあってさ。小学校の文集にも、『ピグミー族(※中央アフリカの赤道付近の熱帯雨林に住む狩猟採集民)になって、狩りをしたり楽器を弾いたりして暮らしたい』って書いていたな」
中学を卒業後、地元を離れて佐渡の高校に進学。祖母宅に住みながら農作業を手伝いつつ、学校をサボって海外を放浪するようになる。
「親に『学校に行け、〇〇しろ』って強いられる感覚が鬱陶しくなって、実家を出たいなって思ったんだ。学校から帰ったらおばあちゃんのリンゴ畑を手伝って、そのバイト代でタイやカンボジアをふらふらしていた」
バックパッカーとして東南アジアのストリートを見て回り、カンボジアでは孤児院も訪問した。海外の価値観に触れた彼は、日本の学校教育のあり方に違和感を持つようになる。
◆卒業三日前に高校を中退
「昔からよく怒られる子供だったんだけど、説得力があって納得させてくれる先生に出会えなかったんだよね。高校でもそうだった。『ルールだからやめなさい』って、一言で片づける先生ばっかりで。その言葉を使うのは教育者としてナシでしょって、海外に出たことでより強く思うようになった」
教師に対する不信感が強まるとともに、クラスメイトにも疑問を抱くようになった。
「周りは先生の言うことに従って、進学だったり就職だったり社会のレールに縛られて。能動的に生きている人が少ない気がしたんだよね。やりたいことをやっている人がいないって、違和感しかなかった。『オラついた教師に従って、高校卒業って履歴が付くのが恥ずかしい』って思うようになって、卒業式の三日前に辞めたんだ」
大反対を食らうかと思いきや、「大夢に常識を言っても通用しないから」「海外に行ったらそうなると思っていた」と、周りはしぶしぶ受け入れてくれたという。
高校を辞めて地元に戻った大夢さんは、“面白さ”を求めて上京を決意する。
◆東京でホームレス生活を発信
「目的は特になかったよ。全財産の5000円だけ持って、『まぁなんとかなるだろう』って感じで行った。友達も知り合いもいないし、住むアテもなかったけど、ホームレス生活すればいいやって。ホームレスって、お金も住む場所もないから、“それ以下”がないじゃん。いちばん底を経験しておいたら、すごく強いよなって思ってさ」
秋葉原の駅前でホームレス生活を送りながら、その様子をSNSで発信していたそうだ。そのうち自宅に泊めてくれる人が現れるようになり、交流が広がっていった。
そして出会ったのが、フィリピンのセブ島で活動するNPO法人『セブンスピリット』の代表だった。
「セブンスピリットは、“音楽教育を通して、スラム街の子供にライフスキルを身につけさせる”って活動をやっていて。面白そうだったから、俺もセブ島に行って参加させてもらうようになったんだよ」
このとき大夢さんは19歳。セブ島でNPOの活動を手伝いながら、街中のストリートチルドレンと触れ合うようになる。それがバジャウ族と接点を持つきっかけとなった。
◆フィリピンでも最貧困の部族「バジャウ族」と出会う
「物乞いの子供たちの中に、バジャウ族がいたんだよね。どういう環境で生活しているんだろうって興味を持って、子供たちに村を案内してもらった。彼らの水上コミュニティにたどりついたとき、ワクワクしたよ。ダウンタウンとは環境がまったく違って、異世界みたいな雰囲気でさ。そこからバジャウ族と一緒に寝泊まりしたり、漁をしたりするようになったんだ」
海の遊牧民とも言われるバジャウ族は、1000年以上の歴史を持つ少数民族だ。フィリピン、インドネシア、マレーシア周辺の海域で暮らしており、独自の文化を築いている。
彼らは海上に作られた高床式の水上住宅に住み、漁業を生業としてきた。しかし近代化にともなう埋め立てや環境汚染により、漁獲量が激減。コミュニティ一帯はゴミがあふれてスラム街と化し、住民たちは相対的貧困に追いやられている。
「バジャウ族は、言葉や文化や宗教、大事にしているものがフィリピン人と全然違う。だから都市部の生活に馴染めない。そもそも十分な教育を受けていない人が多いから、就職のチャンスも少ないんだ。フィリピン人からは『汚くて物乞いする下等民族』って目で見られているんだよね」
◆「偏見をなくしたい」バジャウ族支援の基金を立ち上げる
イメージだけで嫌われるのはもったいない。そう感じた大夢さんは、バジャウ族支援のための「ヒロム基金」を立ち上げる。
「みんな、イメージだけで『汚い』って偏見を持っている。彼らは金銭的には貧しいけど、仕方なく質素な生活をしているわけじゃない。水上でのシンプルな生活が、バジャウ族本来の、昔ながらのスタイル。それが、俺はすごく魅力的に思えてさ。だから彼らの魅力をもっと伝えて、偏見をなくしたいって思ったんだ」
基金だけでなく、Tシャツなどのグッズ製作・販売、クラウドファンディングも行った。集めたお金でサリサリストア(※フィリピン独自の小売店)の出店に協力するなどして過ごしているうちに、とある転機が訪れる。
◆外国人で初めて、バジャウ族の村に住むことを許される
「村の様子をSNSで発信していたら、『大夢に会いたい。バジャウに行きたい』って人が増えてさ。そのとき俺は半ホームレス生活をしていて、遊びに来た人を迎え入れられる家がなかった。どうしようって思って、仲良くしていたバジャウの村長に『ここに家を建ててもいい?』って相談したんだ。特別に許可が出たから、村の空いているところに一人暮らし用の家を建てたんだよ」
外国人でありながら、バジャウ族の村に住むことを許可されたのは、大夢さんが初めてだった。
自宅を構えた彼は、「バジャウ族のことをもっと知ってほしい」という一心から、“バジャウ族ツアー”を始める。彼らの漁船に観光客を乗せ、地図に載っていない島や、秘境のビーチを巡るツアーだ。
「バジャウの文化と魅力を詰め込んだツアーだね。バジャウ族って、傘の骨を解体して手作りの銛(もり)を作って漁をしているんだけど、それを使ってツアー客も一緒に魚を捕るんだ。それと、彼らは物乞いのときに、ゴミから作った楽器を使って歌ったり踊ったりするんだけど……完成度の高いストリートパフォーマンスだって思ったから、観光客の前で披露してもらうようになった。フィリピンの中では物乞いとして下に見られていても、ツアーの中ではエンターテイナーとして活躍するんだ」
◆日本で居場所がない人たちの駆け込み寺
手探りで始めたツアーだったが、参加者の反応を見ながら内容を変化させていった。回数を重ねるにつれてスタイルが確立され、訪れた人から「バジャウで過ごしたおかげで人生が変わった」「ターニングポイントになった」との声が寄せられるようになる。
大夢さんの自宅兼ゲストハウスには、“居場所がない人の駆け込み寺”としての側面も生まれ始めたという。
「日本では“社会不適合者”と呼ばれる人や、“厄介者”扱いされる人も来るようになった。そんな人たちでもウェルカムって受け入れていたよ。バジャウ族は普段から差別されているから、弱い者の気持ちを知っていて、優しいんだ。俺自身あんまり人を嫌ったりしないしね。それに居場所がない人を否定して断ったら、その人たちが生きていける場所が本当になくなっちゃうから」
メディアにも取り上げられ順調だったバジャウ族ツアーだが、コロナ禍のロックダウンで開催できなくなってしまう。さらに2021年12月、台風22号「ライ」(フィリピン名:オデット)により村や自宅が壊滅状態となり、大夢さんは村の復興に奔走した。
「村の復興作業を終わらせてから、『今がタイミングだ』って思って2年半ぶりに日本へ行ったんだ。そのあとはタイのチェンマイでムエタイやマッサージ修行をして、資格を取ってまた日本に戻ってきた。そのあとは目的なく過ごしていたけど、やっと先の展望が見えてきたから、バジャウ族ツアーを再開することに決めたよ」
現地のバジャウ族の友人からの近況報告を聞き、「今ならツアーができる」と踏んだそう。今までは大夢さん本人が参加者を案内して回る形だったが、今後は違う方法を考えているという。
「現地の友達のツアー会社と提携して、俺の代わりにアテンドしてもらうことになった。俺はリモートでツアーをマネージメントするつもり。今までは一人ひとりのリクエストに合わせて、連れていく場所を変えたり、市場に買い出しに行ったり準備していたんだよ。それを臨機応変にできる人が、俺以外にいなかったから。でも、社会事業として成り立つように、俺がいなくても開催できるようにしようと思う」
バジャウ族の中で暮らすことで、たくさんの経験を得た大夢さん。今後は日本を拠点に活動していくつもりだと語る。
「俺がバジャウでやってきたことを、次は日本でもやろうと思ってさ。僻地の土地を探して、古民家を改装して、まずは日本での半自給自足の暮らしをゼロから整える。俺が20歳くらいの頃に、誰からも注目されていなかったバジャウ族の村にたどり着いて、ゼロから拠点を構えて、その土地や人や暮らしの魅力を発信して、輪を広げていったように。“人間が本来の人間らしく還れる”ような、豊かな暮らしの輪を広げていこうと思っているよ。生きる目的の軸は変わらずに、これからもより多くの人に“BE HAPPY”を届けていくつもり」
自由な感性で高みを目指す、「BE HAPPY, BE HIGHER」な大夢さんの人生。第二章の幕は上がったばかりだ。
<取材・文/倉本菜生>
【倉本菜生】
福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院在籍中。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。X(旧Twitter):@0ElectricSheep0
<このニュースへのネットの反応>
畑手伝いのお駄賃で海外を放浪できるの、実家が太すぎるだろ
本当に金のないホームレスなら、そのSNSで発信すらできないはずなんだが
要するにニート?